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「何度やられても、諦めなければ負けじゃない」デビュー22年でIWGP頂点に立った後藤洋央紀の大逆転人生

■「透明人間」と呼ばれた日々

 実力は折り紙付きながら、ここ一番で結果が出せない後藤。

 テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で解説していた元プロレスラーの山﨑一夫氏や大先輩のライガー氏は、後藤にたびたびコメントを浴びせていた。二人からすれば「後藤への期待が高いからこその愛のムチ」ということだった。

 なかなか突き抜けられない日々を過ごしていた当人は、どんな思いだったのだろうか。

「あの頃、結果は出るんです。それでIWGP挑戦となりますけど、自分の中では『まだ早いんじゃないかな』なんて迷いがありましたね。でも、『NEW JAPAN CUP』を優勝したのでやるしかないじゃないですか。でも、自分の中では『ベルトを獲るぞ』というモチベーションに達していない中での試合でした。それじゃあ勝てるものも勝てないですよね」

 同僚からも中途半端な気持ちは見抜かれた。後藤の先輩でIWGP戴冠経験がある真壁刀義は「(気持ちが)しょぼい」と切り捨て、同期の中邑真輔からは「存在感ゼロ。透明人間」と屈辱的な言葉を浴びせられる。それにファンも乗っかって、後藤は叩かれまくった。

「あの時の言葉は、結構グサっときましたね。圧力じゃないけど、真壁さんや中邑が俺に強い言葉を言うじゃないですか。それにファンが『そうだそうだ』って乗っかってきたのは堪えました」

「自分でも『何が足りないのだろう』ってずっと考えてましたね。自分で答えが出ないから、他の選手に聞いたこともあります。でも、周りから色々と言われ過ぎて、自分の気持ちもわからなくなってました。完全に自分を見失ってましたね」

 自分に自信が持てず、さらにファンも含めて周囲が勝手に後藤に対するマイナスイメージをつけていく。完全にドツボにはまっていた。

 

▲「ドツボにはまっていた」時期があるからこそ、今のマイクアピールに説得力が増す

 

 そんな状況にあって、盟友・柴田の存在は心強かったようだ。

「柴田は、昔から知ってるからファンがつくった色眼鏡で俺の事を判断しないんです。俺も同じように昔から知っている柴田だからガンガンやり合えたし、周りからのレッテルとか関係なく自分を出せる部分があったと思います。タッグの時もすごく伸び伸びとやれましたね」

次のページ覚悟の8度目挑戦も跳ね返された

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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